●明治維新…日本の近代は明治維新から始まります。今日の日本の原点はやはり、明治維新と第二次世界大戦にあると言ってよいでしょう。実際、アジア世界で西欧列強の植民地化を免れたのみならず、「近代化」を達成して、西欧列強に並ぶ大国となったことは歴史的に見ても驚異です。もちろん、ヨーロッパも世界史的に見れば、長らく文明の辺境・後進地帯でした。それが「近代化」を達成したことで、十字軍も成し遂げられなかったイスラーム世界への勝利を収め、それまでアレクサンダー大王の東方遠征とタラス河畔の戦いぐらいしかなかった、東方世界への勝利を実現しました。やはり、世界史的にも日本史的にも「近代化」の秘密を探ることが最大のテーマの1つなのです。
【文明開化・富国強兵・殖産興業】
文明開化 | 天賦人権思想(「東洋のルソー」中江兆民)、福沢諭吉(『西洋事情』、『学問のすゝめ』、『文明論之概略』、慶応義塾)、中村正直(スマイルズ『西国立志編』、ミル『自由之理』)、明六社(森有礼・福沢諭吉・西周・加藤弘之・西村茂樹ら)~『明六雑誌』。 |
富国強兵 | 徴兵令(1872年)→秩禄処分・廃刀令(1876年)→「士族の商法」→西南戦争(1877年、西郷隆盛)。 |
殖産興業 | お雇い外国人、工部省~鉄道建設・官営事業(長崎造船所など)、郵便制度(前島密)、官営模範工場(生糸~富岡製糸場など)、内務省~製糸・紡績業→第1回内国勧業博覧会、北海道開拓使→札幌農学校・屯田兵制度、新貨条例(円・銭・厘)→国立銀行条例(渋沢栄一)、政商~三井・三菱(岩崎弥太郎~海運)。 |
琉球 | 日中両国に対する両属関係を断ち、琉球処分で日本領化。 |
台湾 | 台湾出兵に始まり、日清戦争で日本領に。 |
朝鮮半島 | 江華島事件で開国させて不平等条約を押し付け、日清戦争で清の宗主権を断ち切り、韓国併合で植民地化。 |
満州 | 日露戦争でロシア勢力を排除して利権を手に入れ、満州事変で満州国建国。 |
中国大陸 | 柳条湖事件で日中戦争勃発、アメリカの利権もからんで太平洋戦争に。 |
民本主義 | 吉野作造が提唱した大正デモクラシーの理念。国民主権の民主主義との違いは、天皇主権の大日本帝国憲法下で民主主義の長所を採用する所にあります。 |
天皇機関説 | 美濃部達吉が提唱した大正デモクラシーの理念。統治権の主体を法人としての国家に帰属させ、天皇は国家の最高機関として、憲法に従って統治権を行使するものとした。 |
公布年 | 公布時内閣 | 実施年 | 納税条件 | 性別年齢 | 人口比 |
1889年 | 黒田清隆内閣 | 1890年 | 直接国税15円以上 | 男25歳以上 | 1.1% |
1900年 | 山県有朋内閣 | 1902年 | 直接国税10円以上 | 男25歳以上 | 2.2% |
1919年 | 原敬内閣 | 1920年 | 直接国税3円以上 | 男25歳以上 | 5.5% |
1925年 | 加藤高明内閣 | 1928年 |
制限なし (男子普通選挙) |
男25歳以上 | 20.8% |
1945年 | 幣原喜重郎内閣 | 1946年 |
制限なし (男女普通選挙) |
男女20歳以上 | 50.4% |
長州系元老 | 伊藤博文、山県有朋、井上馨、桂太郎。 |
薩摩系元老 | 黒田清隆、松方正義、西郷従道、大山巌。 |
公家系元老 | 西園寺公望。 |
戦後恐慌 | 1920年。大戦景気(船成金)→ヨーロッパ諸国の復興・アジア市場への復帰→綿糸・生糸暴落。 |
ワシントン会議 | 1921~22年。ワシントン体制→協調外交・幣原外交。四カ国条約(太平洋の平和に関する条約→日英同盟廃棄)、九カ国条約(中国の主権尊重・門戸開放・機会均等→山東省における旧ドイツ権益返還)、海軍軍縮条約(主力艦保有量の制限)。 |
震災恐慌 | 1923年。関東大震災→不況慢性化、流言による朝鮮人・中国人殺害。 |
金融恐慌 | 1927年。震災手形の処理→蔵相の失言から取付け騒ぎ→台湾銀行救済問題(経営破綻した総合商社鈴木商店に対する巨額の不良債権)→モラトリアム(支払猶予令)。 |
不戦条約 | 1928年。ケロッグ=ブリアン協定~国際紛争を解決する手段としての戦争放棄(日本国憲法第9条の原型)。 |
昭和恐慌 | 1930年。アメリカ・ウォール街の株価暴落(1929年、世界恐慌)→金輸出解禁(1930年、浜口雄幸内閣・井上準之助蔵相)→輸出減少、正貨の大量流出、倒産・失業者増大→重要産業統制法(1931年)→金輸出再禁止(犬養毅内閣・高橋是清蔵相)→管理通貨制度に移行。 |
農業恐慌 | 植民地米移入による米価低迷→昭和恐慌による各種農産物価格暴落、対米生糸輸出激減→豊作貧乏(1930年)→大凶作(1931年)→欠食児童・女子の身売り。 |
ロンドン海軍軍縮会議 | 1930年。補助艦保有量の制限→統帥権干犯問題(軍の最高指揮権である統帥権は天皇大権で、その発動には参謀総長・海軍軍令部長が直接参与した)。 |
イギリス フランス |
ブロック経済(本国と植民地との間で保護貿易政策)~ポンド・ブロック(スターリング・ブロック)、フラン・ブロック→日本が産業合理化と円安で自国植民地への輸出拡大をし、綿織物では世第1位になったのに対して、国ぐるみの投げ売り(ソーシャル=ダンピング)と非難。 |
ドイツ イタリア日本 |
全体主義(一党独裁)~ナチズム(ドイツ)、ファシズム(イタリア)、軍国主義(日本)→新興財閥(日産、日窒)が軍と結びついて満州・朝鮮にも進出。 |
アメリカ | ニューディール政策(修正資本主義)~財政支出による景気刺激策→最終的には第2次世界大戦が最大の有効需要創出。 |
ソ連 | 計画経済(一国社会主義)~5か年計画→世界経済の影響を受けずに発展。 |
軍部大臣現役武官制 | 1900年。第2次山県有朋内閣、陸・海軍大臣を現役将官から任用する制度→軍部の内閣への発言力を強める。 |
統帥権干犯問題 | 1930年。ロンドン条約調印は、内閣が天皇の統帥権を犯したことになり、違憲であると海軍軍令部が政府を攻撃→浜口首相狙撃。 |
●占領下の日本…日本はポツダム宣言に基づいて連合国に占領されることになりましたが、同じ敗戦国ドイツがアメリカ・イギリス・フランス・ソ連4か国によって分割占領され、直接軍政の下に置かれたのに対し、日本はアメリカ軍による事実上の単独占領で、マッカーサー元帥を最高司令官とする連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の指令・勧告に基づいて日本政府が政治を行う、間接統治の方法が採られました。ちなみに朝鮮半島北部・南樺太・千島列島などはソ連軍が、朝鮮半島南部及び奄美大島・琉球諸島を含む南西諸島と小笠原諸島はアメリカ軍が占領し、直接軍政をしいています。台湾は中国に返還され、日本の主権は4つの島と連合国の定める諸小島の範囲に限定されたのです。また、連合国による対日占領政策決定の最高機関としてワシントンに極東委員会が置かれ、東京には最高司令官の諮問機関である対日理事会が設けられましたが、アメリカ政府主導で占領政策が立案・実施されています。
当初の占領目標は、非軍事化・民主化を通じて日本社会を改造し、アメリカや東アジア地域にとって日本が再び脅威となるのを防ぐことに置かれたのですが、朝鮮戦争(1950~53年)で日本の戦略的価値を再認識したアメリカは、占領を終わらせて日本を西側陣営に早期に編入しようとし、1951年のサンフランシスコ平和条約で日本は独立国としての主権を回復すると同時に、日米安全保障条約が結ばれ、独立後も日本国内にアメリカ軍が「極東の平和と安全」のために駐留を続け、日本の防衛に「寄与」することとされます。サンフランシスコ平和条約によって、日本の賠償責任は著しく軽減しますが、朝鮮の独立、台湾・南樺太・千島列島などの放棄が定められ、沖縄・小笠原諸島はアメリカの施政権下に置かれます。また、日米安保条約に基づいて、日米行政協定(1952年)が締結され、日本は駐留軍に基地を提供し、駐留費用を分担することとなりました。
●日本国憲法…1945年10月、幣原喜重郎内閣はGHQに憲法改正を指示され、憲法問題調査委員会を設置して改正試案を作成しますが、天皇の統治権を認める保守的な内容であったため、GHQは極東委員会の活動が始まる前に自ら改正草案(マッカーサー草案)を作成します。なぜなら、極東委員会が活動を始めれば天皇制廃止が要求される可能性があり、GHQは天皇制廃止がもたらす収拾し難い混乱を避け、むしろ天皇制を占領支配に利用しようと考えていたからで、GHQは天皇を戦犯容疑者にも指定しませんでした。マッカーサー草案作成に当たっては、岩三郎らによる民間の憲法研究会が発表していた「憲法草案要綱」(主権在民原則、立憲君主制)なども参照され、政府はこのマッカーサー草案に手を加えたものを政府原案として発表しました。新憲法制定は手続き上、大日本帝国憲法を改正する形式を採り、改正案は衆議院と貴族院で修正可決された後、日本国憲法として制定されたのです。
【戦後処理に向けての国際会議】
大西洋憲章 1941年8月 |
ローズヴェルト チャーチル |
新国際機関の創設→連合国共同宣言(戦後処理の原則)→国際連合。 |
カイロ会談 1943年11月 |
ローズヴェルト チャーチル 蒋介石 |
日本の無条件降伏、満州・台湾・澎湖諸島の中国返還、朝鮮の独立、日本の委任統治領である南洋諸島のはく奪。 |
テヘラン会談 1943年11~12月 |
ローズヴェルト チャーチル スターリン |
連合国の北フランス上陸作戦(第二戦線・西部戦線形成)~ノルマンディー上陸作戦。 |
ヤルタ会談 1945年2月 |
ローズヴェルト チャーチル スターリン |
ドイツの戦後処理、ソ連の対日参戦、ソ連への南樺太返還及び千島列島の譲渡、旅順・大連の自由港化。 |
ポツダム会談 1945年7月 |
トルーマン チャーチル スターリン |
日本軍への無条件降伏勧告、日本の戦後処理方針。アメリカ・イギリス・中国の名前で発表し、後にソ連も参加。 |
人権指令 | GHQ→幣原喜重郎内閣~憲法の自由主義化、婦人参政権、労働組合の結成奨励、自由主義的教育制度、経済機構の民主化。 |
教育改革 | アメリカ教育使節団報告→教育基本法・学校教育法→公選による教育委員会設置(教育行政の地方分権化)。 |
財閥解体 | 財閥の資産凍結・解体→独占禁止法・過度経済力集中排除法。 |
労働三法 | 労働組合法(労働三権~団結権・団体交渉権・争議権)、労働関係調整法、労働基準法(8時間労働制)。 |
新選挙法 | 女性参政権→戦後初の総選挙(1946年4月)~39名の女性議員誕生→第1次吉田茂内閣。 |
神道指令 | GHQは政府による神社・神道への支援・監督を禁止→国家神道解体(国家と神道の分離)。 |
人間宣言 | 昭和天皇~「現御神」としての天皇の神格を自ら否定。 |
公職追放 | 戦争犯罪人・陸海軍軍人・大政翼賛会の有力者ら。 |
経済安定 | 金融緊急措置令(インフレ対策)→傾斜生産方式(復興金融公庫~電力・海運などを含む基幹産業への資金供給)→ゼネラル・ストライキ中止(GHQの指示)→インフレ進行。 |
東京裁判 | A級戦犯(「平和に対する罪」~東条英機ら)、B・C級戦犯(戦時中に捕虜・住民を虐待など、戦時国際法違反)。 |
農地改革 | 自作農創設特別措置法~農地委員会→不在地主の全貸付地・在村地主の貸付地の1町歩(北海道は4町歩)を超える分を小作人へ。 |
新民法・刑法 | 家中心の戸主制度廃止、男女同権の新しい家族制度を定める。不敬罪・姦通罪などが廃止。 |
経済復興 | 経済安定九原則→ドッジ=ライン(徹底した引き締め政策によるインフレ対策)→単一為替レート設定(1ドル=360円)→シャウプ勧告(直接税中心主義、累進課税制度)→インフレ収束、不況深刻化、中小企業倒産増大、失業者増加。 |
神武景気 | 1955~57年。三種の神器(白黒テレビ・電気洗濯機・冷蔵庫)。 |
岩戸景気 | 1958~61年。国民所得倍増計画(池田勇人内閣、1960年)→「投資が投資を呼ぶ」。 |
オリンピック景気 | 1962~64年。東海道新幹線開通(1964年)、高速道路建設→東京オリンピック(1964年)。自家用車普及→「マイカー」時代→モータリゼーション(自動車が交通手段の主役に)。 |
いざなぎ景気 | 1965~70年。建設国債発行による公共投資拡大、重化学工業化による鉄鋼・造船・機械の国際競争力の高まり→輸出拡大。新三種の神器(「3C」~自家用自動車・カラーテレビ・クーラー)。 |
ドル危機 | アメリカの軍事支出膨張、西側諸国への莫大な援助、復興した先進国からの対米輸出急増→国際収支悪化、金準備減少。 |
ドル=ショック | 1971年。ニクソン=ショック。金・ドル交換停止→スミソニアン協定(固定為替相場制維持)→変動為替相場制(1973年~)→IMF体制(金・ドル本位制~ドルを基軸通貨とする固定為替相場制)崩壊。 |
第1次石油危機 | 1973年。オイル=ショック。第4次中東戦争→OAPEC(アラブ石油輸出国機構)は非友好国に対する石油輸出制限実施、OPEC(石油輸出機構)も原油価格を4倍に引き上げ→狂乱物価(+田中角栄内閣~「列島改造」政策)→スタグフレーション(インフレ+不況)。 |
第2次石油危機 | 1979年。イラン革命(アメリカの支援の下で近代化を進めてきたパーレビ王政が倒され、イスラーム復興を掲げるホメイニが権力掌握)→アラブの産油国は原油価格を3倍に引き上げ→世界同時不況(1980~83年)。 |
行財政改革 | 1983~87年。中曽根康弘内閣(新自由主義・新保守主義~レーガノミクス・サッチャリズム)。「戦後政治の総決算」→電電公社民営化(NTT)、専売公社民営化(JT)、国鉄民営化(JR)。 |
農産物輸入自由化 | 1980年代に日本の対米貿易黒字激増→自動車などの輸出自主規制、農産物の輸入自由化→牛肉・オレンジの輸入自由化(1988年)、米市場の部分開放(1993年)。 |
プラザ合意 | 1985年。レーガノミクス(減税政策、ドル高政策)→「双子の赤字」(貿易赤字、財政赤字)深刻化→G5(先進5か国財務相・中央銀行総裁会議)~ドル高是正のためドル売りの協調介入→急激な円高・ドル安→円高不況。 |
平成景気 | 1986~91年。バブル景気。円高不況対策→超低金利政策、内需主導型経済への転換→金余り現象→株式・土地への過剰な投機。 |
ペレストロイカ | ソ連・ゴルバチョフ~市場原理導入、情報公開(グラスノスチ)→中距離核戦力(INF)全廃条約、アフガニスタン撤兵。 |
冷戦の終結 | 1989年。マルタ会談(ブッシュ、ゴルバチョフ)~「ヤルタからマルタへ」。 |
東欧革命 | 1989年。「ベルリンの壁」崩壊→東西ドイツ統一(1990年)。 |
ソ連邦解体 | 1991年。独立国家共同体(CIS、ロシアを中心とするゆるやかな連合)結成。 |
湾岸戦争 | 1991年。イラクのクウェート侵攻→アメリカ軍を主力とする多国籍軍が国連決議を背景に武力制裁→日本の国際貢献の必要性→PKO協力法(1992年、自衛隊の海外派遣)。 |
55年体制崩壊 | 1993年。細川護煕内閣(非自民8党派連立政権)~小選挙区比例代表並立制を導入する選挙制度改革実現。 |
平成不況 | 1991~2000年。バブル経済崩壊(1991年)→平成不況(不良債権→金融機関の経営破たん、貸し渋り→倒産、リストラ)→小泉内閣構造改革→戦後最長の好景気(2002~07年)。 |
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