国語力アップ講座
古文
古文を学ぶ意義とは?
「古文」は江戸時代までの文章ですから、現代社会でこれを使いこなす必要はほぼありません。しかしながら、そこには「日本語」「日本文化」の千年を超える蓄積があるのは事実ですから、そのエッセンスを吸収しておくことは大いに意義のあることです。
また、日本語は膠着語に分類されます。膠着語とは付属語である助詞・助動詞が「膠」のような働きをして、自立語にくっついたり、語と語をつなげたりして、全体として意味を表す言語です。したがって、「助動詞」「助詞」の働きを押さえることが、日本語理解のカギとなります。古文で助動詞・助詞を中心に学ぶのは、こういう所から来るわけです。
①『古今和歌集』
「やまとうたは、人の心を種として、万(よろづ)の言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざ繁(しげ)きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけ、言ひ出(いだ)せるなり。花に鳴く鶯(うぐひす)、水に住む蛙(かはづ)の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女(をとこをんな)の中をも和(やは)らげ、猛(たけ)き武士(もののふ)の心をも慰むるは歌なり。」(『古今和歌集』仮名序)
「和歌というものは、人間の心情をもととして、(それが)様々の言葉となって、表れたものである。この世の中に生きている人は、(いろいろと)出あう事件やする仕事が多いものであるから、(それについて)心に感じたことを見たり聞いたりするものに託して、(言葉として)表現したものである。花の咲く木に来て鳴く鶯の声や、水に住む河鹿(かじか)の鳴く声を聞くにつけても、全てこの世に生きているものは、何一つとして歌を詠まないものがあろうか(、皆歌を詠むものだということが感じられる)。(別に)力をも入れないで天地(の神)を感動させ、目に見えない鬼神をもしみじみと感じさせ、(また)男女の仲をも和合させ、勇猛な武士の心をも慰めるものは、歌である。」
日本文化は重要な柱の1つに「和歌文化」があり、天皇の命令による国家事業としての和歌集編纂が続々と行われ、「和歌の前の平等」といった概念すらあるほどです。その中でも「最初の勅撰和歌集」である『古今和歌集』の歌風は、「古今調」として近代まで長く和歌の手本となっています。また、この「仮名序」は「文学史上最初の優れた歌論」とされ、やはり後世の文学に大きな影響を及ぼしています。
歌集 |
『万葉集』 |
『古今和歌集』 |
『新古今和歌集』 |
成立 |
760年頃 |
905年 |
1205年 |
撰者 |
大伴家持(おおとものやかもち) |
紀貫之(きのつらゆき)、紀友則(きのとものり)、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、壬生忠岑(みぶのただみね) |
藤原俊成(としなり、しゅんぜい)、藤原定家(さだいえ、ていか)ら |
歌風 |
「ますらをぶり」(男性的)。素朴・雄大で簡明。 |
「たをやめぶり」(女性的)。優雅・繊細で詠嘆性が強い。 |
幽玄・有心体(うしんたい)。華麗で優美性に富む。 |
それでは、「小倉百人一首」にも選ばれている『古今和歌集』の名歌をいくつか見てみましょう。
「天(あま)の原ふりさけ見れば春日なる三笠(みかさ)の山に出(い)でし月かも」(阿倍仲麻呂~留学生として唐に渡って出世した人物)
(天空をはるか遠くまで眺めると月が輝いているが、あれは昔、三笠山に出ていた月と同じ月なのだなあ。)
「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間(ま)に」(小野小町~「六歌仙」の1人)
(桜の色はすっかりあせてしまったなあ。そして、私の容色も衰えてしまったなあ。長雨が降り、物思いにふけっている間に。)
「みちのくのしのぶもぢずり誰(たれ)ゆゑに乱れそめにし我ならなくに」(河原左大臣~源融〔みなもとのとおる〕、『源氏物語』の主人公光源氏の実在モデルの1人)
(陸奥のしのぶずりの乱れ模様のように、あなた以外の誰かのために心乱れ始めてしまった私ではないのに。)
「ちはやぶる神代(かみよ)も聞かず竜田川(たつたがは)からくれなゐに水くくるとは」(在原業平朝臣~「六歌仙」の1人)
(遠い神代にも聞いたことがない。竜田川が紅葉を浮かべ、真っ赤な色に水をしぼり染めにしているなどということは。)
「月見ればちぢに物こそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらねど」(大江千里~在原業平の甥)
(月を見ると、いろいろと悲しさが感じられることだ。私一人を悲しませるために秋が来るのではないけれども。)
「心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花」(凡河内躬恒〔おおしこうちのみつね〕~『古今和歌集』の選者の1人)
(当て推量で折るならば折ってみようか。初霜が一面に降って、どれが花やら霜やら分からなくなっている白菊の花を。)
「有明(ありあけ)のつれなく見えし別れより暁(あかつき)ばかり憂(う)きものはなし」(壬生忠岑〔みぶのただみね〕~『古今和歌集』の選者の1人)
(有明の月のように、無情で冷淡に見えたあの暁のお別れ以来、明け方ほどつらく思われるものはありません。)
「ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」(紀友則〔きのとものり〕~『古今和歌集』の選者の1人)
(こんなにのどかな光が差している春の日に、桜はどうして落ち着いた気持ちもなく散っていくのであろうか。)
「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香(か)に匂(にほ)ひける」(紀貫之〔きのつらゆき〕~『古今和歌集』の選者の1人)
(人はさあ、心変わりしたかどうか分からないが、昔なじみのこの里では、梅の花だけは変わらぬ香りで咲き匂っていることだ。)
②『竹取物語』
「今は昔、竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、万(よろづ)の事に使ひけり。名をば讃岐の造麻呂(さぬきのみやっこまろ)となむいひける。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて寄りて見るに、筒の中光たり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。」(『竹取物語』冒頭)
「今ではもう昔のことであるが、竹取の翁という者が住んでいた。(その竹取の翁は)野や山に分け入っては、竹を取ったりして、いろいろな道具を作るのに使って(暮らして)いた。その名を、讃岐の造麻呂(さぬきのみやつこまろ)といった。(ある日のこと、いつも取る)その竹の中に、根もとの方が光る竹が一本あった。(翁が)不思議に思って(そばに)近寄って見ると、竹の筒の中が光っている。それをよく見ると、(中に、身の丈)三寸ほどの(小さい)人が、たいへんかわいらしい姿で入っていた。」
910年頃成立。『源氏物語』に「物語の出(い)で来(き)はじめの祖(おや)」と記されていて、「作り物語」(伝説などを元に創作された長編の物語)の最初に位置づけられます。『伊勢物語』に始まる「歌物語」(和歌が詠まれた場面を紹介する短編集)と共に『源氏物語』に大きく結実します。
③『土佐日記』
「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。それの年の十二月(しはす)の二十日(はつか)あまり一日(ひとひ)の日の、戌(いぬ)の時に門出す。そのよし、いささかに物に書きつく。」(『土佐日記』冒頭)
「男も書くという日記というものを女(である私)も書いてみようと思って書くのである。ある年の十二月二十一日の午後八時頃、家を出る。その有様を少しばかりものに書きつける。」
935年頃成立。紀貫之は個人的な心情を何の制約もなく日本語で表現できる「ひらがな」を使用し、「日記文学」という新しい文学領域を創造しました。しかも、「ひらがな」の女性的、私的な特性を生かして、自分を女性に仮託するという虚構性を持たせ、土佐国で亡くした娘をしのぶ心情をせつせつとたたえた作品を生み出したため、これが後の女流文学を切り開いたとされます。娘への哀歌をいくつか見てみましょう。
「都へと思ふものの悲しきは帰らぬ人のあればなりけり」
(京へ帰ろうと思うものの何とも悲しいのは、この地で亡くなってしまって、一緒に帰ることができない人がいるからだ。)
「あるもののと忘れつつなほなき人をいづらととふぞ悲しかりける」
(まだ生きているものと思い、死んでしまったのを忘れて、どこにいるかと尋ねることが、何とも悲しいことであったよ。)
「世の中に思ひやれども子を恋ふる思ひにまさる思ひなきかな」
(この世の中をいろいろと思いやっても、亡き子を思い慕う親の思いに勝るものはないのだ。)
「生まれしも帰らぬものをわが宿に小松のあるを見るが悲しき」
(ここで生まれたあの子が帰ってこないのに、我が家の庭に小松が生えているのを見ると、子どものことが思い出されて悲しい。)
④『伊勢物語』
「むかし、男、初冠(うひかうぶり)して、奈良の京春日(かすが)の里に、しるよしして、狩(かり)にいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらからすみけり。この男かいまみてけり。思ほえず、ふる里にいとはしたなくてありければ、心地まどひにけり。男の、着たりける狩衣(かりぎぬ)の裾(すそ)をきりて、歌を書きてやる。その男、信夫摺(しのぶずり)の狩衣をなむ着たりける。
春日野の若むらさきのすりごろもしのぶの乱れかぎりしられず
となむおひつきていひやりける。ついでおもしろきことともや思ひけむ。
みちのくのしのぶもぢずりたれゆゑに乱れそめにしわれならなくに
といふ歌の心ばへなり。昔人(むかしびと)は、かくいちはやきみやびをなむしける。」(『伊勢物語』冒頭)
「昔、ある男が、元服したばかりの頃、奈良の都の春日の里に、領地があった関係で、狩に出掛けて行った。その里に、たいそう上品で美しい姉妹が住んでいた。(それを)この男はちらと見てしまった。意外にも(こんな寂しい)旧都には全く不似合いな様子であったので、(男は)が動揺してしまった。(そこで男は)自分の着ていた狩衣の裾(すそ)を切って、歌を書いて贈った。その男は、しのぶ摺(ず)りの狩衣を着ていたのであった。
春日野の若い紫草で染めたこの狩衣の忍草(しのぶぐさ)の模様が乱れている様に、(美しいあなた方をお見かけしてから)私の心は限りなく乱れていることです。
と、大人びた口調で詠んでやった。(男がこんなことをしたのは)その場にかなった面白さとでも思ったのであろうか。(一体、この歌は)
陸奥(みちのく)のしのぶもぢ摺(ず)り(の乱れ模様)の様に、私の心が乱れ始めたのは、一体どなたのためでしょうか(ただあなた一人のためなのです)。
という古歌の心(をくんだの)である。昔の人はこのように臨機応変の風流をしたものである。」
947年頃成立。在原業平(ありわらのなりひら)らしい「男」の一代記であることから、業平に縁(ゆかり)ある人によって原型が書かれたと見られています。百二十五段の長短様々な物語から成り、各段には必ず一首以上の和歌が入っていて、文が単なる歌の詞書(ことばがき、作歌事情の客観的解説)ではなく、歌が詠まれた深い情趣を丁寧に記すことで、文と歌が一つに融合している点で、「歌物語」と呼ばれます。
ちなみに、『伊勢物語』二十三段「筒井筒」に出てくる「筒井つつの井筒のかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹(いも)見ざるまに」「くらべこし振り分け髪も肩過ぎぬ君ならずしてたれかあぐべき」の2つの歌から、樋口一葉の『たけくらべ』の題名が出てきたとされています。
では、他にも著名な歌をいくつか見てみましょう。
「唐衣(からころも)きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ」
(唐衣をずっと着続けていると柔かくなって身になじむように、いつも身近にいて親しく思う妻が都に住んでいるので、その都を後にしてはるばるやって来た旅路をしみじみ思う。)
「名にし負(お)はばいざ言(こと)問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」
(都とという名を持っているならば、さあ尋ねよう、都鳥よ。私が恋しく思っているあの人は無事で暮らしているかどうかと。)
「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」
(この世の中に全く桜というものが無かったならば、春を過ごす心はのどかなものであったろうよ。)
「つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日(きのふけふ)とは思はざりしを」
(辞世の句。最後には行く道とはかねてから聞いていたが、昨日今日のこととは思わなかったなあ。)
⑤『枕草子』
「春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。
夏は夜。月のころはさらなり。やみもなほ。蛍のおほく飛びちがひたる、また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。雨など降るも、をかし。
秋は夕ぐれ。夕日のさして、山のはいと近うなりたるに、烏(からす)の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛びいそぐさへ、あはれなり。まいて、雁(かり)などの列(つら)ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入りはてて、風のおと、虫の音(ね)など、はたいふべきにあらず。
冬はつとめて。雪の降りたるは、いふべきにもあらず。霜のいと白きも。また、さらでもいと寒きに、火などいそぎおこして、炭もてわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶(ひをけ)の火も、白き灰がちになりて、わろし。」(『枕草子』冒頭)
「春は夜明け方(が第一だ)。だんだん白々(しらじら)と明けてゆく峰近くの空が少し明るくなって、そこに紫がかった雲が細くたなびいている(のは素晴らしい)。
夏は夜(だ)。月のある時分(の面白いこと)は言うまでもない。闇夜の時分でもやはり、蛍がたくさん入り乱れて飛んでいる(景色は面白い)。また、ただ一つ二つなど、かすかに光って飛んで行くのも面白い。雨などの降る(夜)も面白い。
秋は夕暮れ(がよい)。夕日が赤くさして、山の端(は)すれすれに落ちかかった頃、烏がねぐらに帰ろうとして、三羽四羽、また二羽三羽という様に並んで、急いで飛んで行くのさえも、しみじみとした趣(おもむき)がある。まして、雁などの列をつくったのが、(空高く)たいそう小さく見えるのは、まことに面白い。日がすっかり沈んでしまってから、風の音や虫の声などが聞えてくるのは、これまた、改めて言うまでもなく(趣の深いものだ)。
冬は早朝(に限る)。雪の降っている(朝の面白いこと)は言うまでもなく、霜がたいそう白い(朝)も、また雪や霜がなくてもたいそう寒い朝に火などを急いでおこして、炭火を持って(御殿の廊下などを)運んで行く情景も、いかにも冬らしくて良いものだ。(しかし)昼になって、寒さがだんだんとゆるんでゆくと、丸火鉢の火も(かまう人がなくなり)、白い灰の方が多くなって感心しない。」
1001年頃成立。鎌倉時代初期の『方丈記』(滅び行く平安王朝文化をしのぶ「消極的無常観」が中心概念です)、鎌倉時代末期の『徒然草』(来たるべき室町時代のエネルギーを感じさせる「積極的無常観」が中心概念です)と合わせて、「三大随筆」とされます。『源氏物語』の中心概念がしみじみとした情趣である「もののあはれ」とすれば、『枕草子』の中心概念は理知的・分析的な「をかし」であるとされます。
⑥『源氏物語』
「いづれの御時(おほんとき)か、女御(にょうご)更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際(きは)にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。」(『源氏物語』冒頭)
「何天皇の御代(みよ)であったろうか、女御や更衣が大勢、帝(みかど)にお仕え申しあげていらっしゃった中に、特に高貴な家柄の出ではないお方で、(他の方々より)格別に帝のご寵愛を受けて栄えていらっしゃるお方があった。」
1008年頃成立。先行の作り物語や歌物語などの影響を受けながら、五十四帖(400字詰め原稿用紙なら2600枚)から成る完成度の非常に高い作品となっており、後世の文学や芸能に与えた影響は計り知れないものがあります。実際、叙情的で流麗な文体、ふんだんに詠み込まれる和歌、写実的に描写される人間心理の機微、宮廷を舞台に光源氏と多数の女性達との恋愛模様や栄耀栄華への道を描くプロット(話の筋、登場人物は400名以上です)など、群を抜いた成果を収めていることは誰も否定できないでしょう。外国でも多く翻訳されており、一時は外国企業の日本駐在員に対して「日本文化を理解するためにはこれを読め」と言われていたようです。江戸時代の国学者・本居宣長(もとおりのりなが)が、『源氏物語』の本質はしみじみと心にしみとおる情念、哀歓である「もののあはれ」にあると喝破して、これが日本文学の代表的理念を表す言葉となりました。
⑦『方丈記』
「ゆく河(かは)の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀(よど)みに浮(うか)ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。」(『方丈記』冒頭)
「遠く行く河の流れは、とぎれることなく続いていて、なおそのうえに、その河の水は、もとの同じ水ではない。その河の水が流れずにとどまっている所に浮かぶ水の泡は、一方では消え、一方では形をなして現れるというありさまで、長い間、同じ状態を続けているという例はない。」
1212年成立。平安末期の戦乱・動乱、あるいは災害などに末法の世を見て無常を悟り、仏教に救いを求めた人々の中には、俗世を離れることでかえって広く自由に現実を見つめ、優れた文学を生み出した者が多く出ました。『新古今和歌集』で最も歌が採録されており、柿本人麻呂、山部赤人と共に「歌聖」として高く評価されている西行などはその最たる例で、鴨長明も西行的生活を思慕し、追随していますが、彼らの文学を「隠者文学」「草庵文学」と呼びます。中世の隠者文学を代表するのが、「三大随筆」のうちの2つである『方丈記』と『徒然草』であるとされます。
⑧『平家物語』
「祇園精舎(ぎをんしゃうじゃ)の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹(しゃらさうじゅ)の花の色、盛者必衰(じゃうしゃひっすい)の理(ことわり)をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜(よ)の夢のごとし。たけき者もつひにはほろびぬ。ひとえに風の前の塵(ちり)に同じ。」(『平家物語』冒頭)
「祇園精舎という寺の鐘の音には「諸行無常」(万物は絶えず変化してゆく)という道理を示す響きがあり、沙羅双樹の花の色は、「盛んな者は必ず衰える。」という理法を表している。(この鐘の声や花の色が示す通り)驕りたかぶっている者も、久しくその地位を保つことができない。それはちょうど、(覚めやすい)春の夜の夢のようである。勢いの盛んな者も、結局は滅びてしまう。それは全く、(たちまち吹き飛ばされてしまう)風前の塵のようなものである。」
1219年以後成立。中世初期には、度々の戦乱の後に語り伝えられた英雄物語などが記録され、新しく「軍記物語」と呼ばれるものが誕生しています。中でも『平家物語』は琵琶(びわ)法師の琵琶の伴奏によって語られ、漢語、和語、仏教語、俗語などを交えた和漢混交文(かなの和文体に漢語や漢文訓読体、俗語などが交じった文体。『今昔物語』で完成し、中世の「軍記物語」で最も典型的に用いられました)で流麗明快な文体となっており、「中世を代表する国民的叙事詩」と位置づけられています。冒頭に示された「諸行無常」「盛者必衰(じょうしゃひっすい)」「因果応報」の仏教的道理は、日本的感性の中に取り込まれ、今も息づいていると言えるでしょう。
⑨『徒然草』
「つれづれなるままに、日ぐらし硯(すずり)にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」(『徒然草』冒頭)
「することもなく退屈で心寂しいのにまかせて、一日中、硯に向かって、次から次へと心に浮かんでは消えて行くくだらないことを、とりとめもなく書きつけてみると、(自分ながら)実に変で、気ちがいじみている様な気がする。」
1331年成立。儒教、仏教、道教のいずれにも通じた知識人・教養人である吉田兼好が、人生体験や学問から得たものをベースに、「無常観」を根底に置きつつ処世訓、人生論、美意識など、多方面にわたるテーマを論じていて、含蓄ある随筆となっています。例えば、「一芸を極めた者は諸芸に通じる」といった観点などは、有名な能の書『花伝書』(風姿花伝)などにも通じるものでしょう。
⑩『奥の細道』
「月日は百代(はくたい)の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅をすみかとす。古人も多く旅に死せるあり。」(『奥の細道』冒頭)
「月日は永遠に旅を続けて行く旅人であり、毎年来ては去り、去っては来る年も同じく旅人である。舟の上で波に浮かんで一生を送る船頭や、馬の轡(くつわ)を取って街道で老年を迎える馬子(まご)などは、毎日旅に身を置いていて、旅そのものを自分の住処(すみか)としている。風雅を愛した昔の人々の中にも、数多く旅中に死んだ人がいる。」
1694年成立。作者は松尾芭蕉で「俳聖」と称されます。上代の「歌謡」、中古の「和歌」、中世の「連歌」の流れを受けて、近世では「俳諧」が誕生しますが、特に芭蕉が確立した俳諧のスタイルを「蕉風」と言います。そして、『奥の細道』の旅では第二の転換期を迎えたとされ、この旅の後に「不易」(不変)と「流行」(変化)が「風雅の誠」によって統一されるという「不易流行(ふえきりゅうこう)」の説が説かれています。さらに、「俳諧七部集」のうち最高峰と称され、「俳諧の古今集」と呼ばれる『猿蓑(さるみの)』で、「蕉風」の根本精神とされる「さび」「しをり」の理念が樹立されて、「蕉風」芸術が完成したと言われています。
では、芭蕉の俳諧をいくつか見てみましょう。
「行く春や鳥啼(な)き魚の目は泪(なみだ)」(『奥の細道』千住)
(行く春を惜しんで、鳥は鳴き、魚は涙を流しているかのようだ。)
「夏草や兵(つはもの)どもが夢の跡」(『奥の細道』平泉)
(奥州藤原氏の栄耀栄華も源義経の功名も今では夢の跡のようであり、夏草が生い茂るばかりである。)
「閑(しずか)さや岩にしみ入(いる)蝉(せみ)の声」(『奥の細道』立石寺〔りっしゃくじ、山寺〕)
(何と静かなことだろう。辺り一面に響き渡る蝉しぐれが岩に染み入るようで、かえって静かさを強めている。)
「五月雨(さみだれ)をあつめて早し最上川」(『奥の細道』最上川)
(降り注ぐ五月雨が最上川に流れ込み、ものすごい勢いで流れていく最上川であるよ。)
「荒海や佐渡に横たふ天河(あまのがは)」(『奥の細道』越後路)
(荒く波立った海の向うに佐渡島が見える。その上には天の川が大きく横たわっているようだ。)
知っておきたい和歌の技法
【枕詞(まくらことば)】
ある語を導き出すためにかぶせる修飾的な語句で、多くは五音からなります。調べを整えたり、次の語句の意味を多様にして印象を強めたりしますが、普通口語訳はしません。
家にあれば笥(け)に盛る飯(いひ)を草枕(くさまくら)旅にしあれば椎(しひ)の葉に盛る(有馬皇子)
「草枕」は「旅」にかかる枕詞です。
あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む(柿本人麻呂)
「あしびきの」は「山」にかかる枕詞です。「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の」が「ながながし」にかかる序詞にもなっています。
【序詞(じょことば)】
枕詞の古い形と言ってよく、比喩や掛詞・同音語などの関係で下の語にかかります。枕詞よりも内容的に複雑な表現効果を持ち、音数も自由で、受ける語も固定されず自由なので、創作性に富みます。
風吹けば沖つ白波たつた山夜半(よは)にや君がひとり越ゆらむ(『伊勢物語』)
「風吹けば沖つ白波」が「立つ」にかかる序詞です。
住の江の岸に寄る波よるさへや夢の通ひ路(ぢ)人目よくらむ(藤原敏行)
「住の江の岸に寄る波」が同音の「夜」を導く序詞です。
【掛詞(かけことば)】
同音異義により、1つの語(または語の一部)に二重の意味を持たせて深める修辞です。枕詞や序詞にも、これによって関連を持たせるものが多く、縁語との組み合わせも多くあります。
山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思へば(源宗干〔みなもとのむねゆき〕)
「かれ」が「離(か)れる」「枯れる」の二重の意味を持つ掛詞です。
大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立(小式部内侍〔こしきぶのないし〕)
「いく」が「生野」(地名)と「行く」の二重の意味を持つ掛詞です。
【体言止め】
述語が途切れた感じで、言い切っていないというところから、深い余情を残します。
心あてに折らばや折らむ初霜(はつしも)のおきまどはせる白菊(しらぎく)の花(凡河内躬恒〔おおしこうちのみつね〕)
さびしさにたへたる人のまたあれな庵(いほり)ならべむ冬の山里(西行)
(発展)助動詞のポイント
【受身・尊敬・可能・自発の助動詞】
助動詞 |
未然形 |
連用形 |
終止形 |
連体形 |
已然形 |
命令形 |
る |
れ |
れ |
る |
るる |
るれ |
れよ |
らる |
られ |
られ |
らる |
らるる |
らるれ |
られよ |
受身(~れる、~られる)、尊敬(お~になる、~なさる)、可能(~ことができる)、自発(自然と~れる)。
【使役・尊敬の助動詞】
助動詞 |
未然形 |
連用形 |
終止形 |
連体形 |
已然形 |
命令形 |
す |
せ |
せ |
す |
する |
すれ |
せよ |
さす |
させ |
させ |
さす |
さする |
さすれ |
させよ |
しむ |
しめ |
しめ |
しむ |
しむる |
しむれ |
しめよ |
使役(~せる、~させる)、尊敬(お~になる、~なさる)。
【打消の助動詞】
助動詞 |
未然形 |
連用形 |
終止形 |
連体形 |
已然形 |
命令形 |
ず |
ず ざら |
ず ざり |
ず |
ぬ ざる |
ね ざれ |
ざれ |
打消(~ない)。
【過去の助動詞】
助動詞 |
未然形 |
連用形 |
終止形 |
連体形 |
已然形 |
命令形 |
き
○
○
き
し
しか
○ |
|
|
|
|
|
|
けり
○
○
けり
ける
けれ
○ |
|
|
|
|
|
|
過去(~た、~たよ)。詠嘆(「けり」のみ。~だなあ、~ことよ)。
【完了の助動詞】
助動詞 |
未然形 |
連用形 |
終止形 |
連体形 |
已然形 |
命令形 |
つ |
て |
て |
つ |
つる |
つれ |
てよ |
ぬ |
な |
に |
ぬ |
ぬる |
ぬれ |
ね |
完了(~た、~てしまった)、強意(きっと~、確かに~)。
助動詞 |
未然形 |
連用形 |
終止形 |
連体形 |
已然形 |
命令形 |
たり |
たら |
たり |
たり |
たる |
たれ |
○ |
り |
ら |
り |
り |
る |
れ |
○ |
完了(~た、~てしまった)、存続(「たり」「り」のみ。~ている)。
【推量の助動詞】
助動詞 |
未然形 |
連用形 |
終止形 |
連体形 |
已然形 |
命令形 |
む |
○ |
○ |
む |
む |
め |
○ |
けむ |
○ |
○ |
けむ |
けむ |
けめ |
○ |
らむ |
○ |
○ |
らむ |
らむ |
らめ |
○ |
推量(~だろう)、過去推量(「けむ」のみ。~ただろう)、現在推量(「らむ」のみ。~ているだろう)、意志(「む」のみ。~う、~つもりだ)、婉曲(えんきょく)(訳さない)。
助動詞 |
未然形 |
連用形 |
終止形 |
連体形 |
已然形 |
命令形 |
べし
|
べく べから |
べく べかり |
べし |
べき べかる |
べけれ |
○ |
推量(~だろう、~しそうだ)、当然・適当(~べきだ、~がよい)、可能(~ことができる)、意志(~う、~つもりだ)。
助動詞 |
未然形 |
連用形 |
終止形 |
連体形 |
已然形 |
命令形 |
まし |
ましか (ませ) |
○ |
まし |
まし |
ましか |
○ |
反実仮想(「~ましかば・・・まし」「~せば・・・まし」の形で。もし~としたら・・・だろうに)、ためらいの意志(~うようかしら)。
助動詞 |
未然形 |
連用形 |
終止形 |
連体形 |
已然形 |
命令形 |
じ |
○ |
○ |
じ |
(じ) |
(じ) |
○ |
まじ |
まじく まじから |
まじく まじかり |
まじ |
まじき まじかる |
まじけれ |
○ |
打消推量(~ないだろう)、打消意志(~まい、~ないつもりだ)、打消当然・不適当(「まじ」のみ。~べきでない、~てはならない、~ないがよい)、不可能(「まじ」のみ。~できそうもない、~できないだろう)。
【断定の助動詞】
助動詞 |
未然形 |
連用形 |
終止形 |
連体形 |
已然形 |
命令形 |
なり |
なら |
なり に |
なり |
なる |
なれ |
なれ |
たり |
たら |
たり と |
たり |
たる |
たれ |
たれ |
断定(~である)。
【推定の助動詞】
助動詞 |
未然形 |
連用形 |
終止形 |
連体形 |
已然形 |
命令形 |
なり |
○ |
○ |
なり |
なる |
なれ |
○ |
めり |
○ |
○ |
めり |
める |
めれ |
○ |
伝聞(「なり」のみ。~するそうだ、~ということだ)、推定(「なり」は聞いたことに基づく。「めり」は見たことに基づく。~らしい、~ようだ)。
助動詞 |
未然形 |
連用形 |
終止形 |
連体形 |
已然形 |
命令形 |
らし |
○ |
○ |
らし |
らし |
らし |
○ |
推定(~らしい、~に違いない)。
【希望の助動詞】
助動詞 |
未然形 |
連用形 |
終止形 |
連体形 |
已然形 |
命令形 |
まほし |
まほしく まほしから |
まほしく まほしかり |
まほし |
まほしき まほしかる |
まほしけれ |
○ |
たし |
たく たから |
たく たかり |
たし |
たき たかる |
たけれ |
○ |
希望(~たい、~てほしい)。
【比況(ひきょう)の助動詞】
助動詞 |
未然形 |
連用形 |
終止形 |
連体形 |
已然形 |
命令形 |
ごとし |
○ |
ごとく |
ごとし |
ごとき |
○ |
○ |
比況(~ようだ、~と同じだ)、例示(例えば~のようだ)。
(発展)助詞のポイント
【格助詞】
体言または連体形に接続して、その文節が下の文節に対して、どんな資格であるかを示します。
格助詞 |
用法・意味 |
の、が |
主語、連体修飾語、体言の代用(~のもの)、同格(~であって)、比喩(~のように)。 |
にて |
場所・時(~で)、手段・材料(~で)、原因・理由(~のために)。 |
して |
手段・方法(~で)、使役の対象(~に)、共同者の人数・範囲(~と共に、~で)。 |
【接続助詞】
条件を示す「条件接続」と特に条件を示さない「単純接続」の2つに分かれ、「条件接続」にはさらに「順接仮定条件」「順接確定条件」「逆接仮定条件」「逆接確定条件」の4つがあります。
条件接続の接続助詞 |
用法・意味 |
ば |
未然形につくと仮定を、已然形につくと確定を表す。
順接仮定条件(もし~なら)。
順接確定条件:原因・理由(~ので、~から)、偶然条件(~と、~たところ)、必然条件(~と必ず)。 |
が |
連体形につく。 逆接確定条件(~が、~けれども)、単純接続(~が)。 |
に、を |
連体形につく。 逆接確定条件(~のに、~けれども)、順接確定条件(~ので、~から)、単純接続(~が、~と)。 |
ど、ども |
已然形につく。 逆接確定条件(~が、~けれども)、逆接仮定条件(~ても)。
|
とも |
終止形につく。形容詞には連用形につく。 逆接仮定条件(~ても)。
|
単純接続の接続助詞 |
用法・意味 |
で |
未然形につく。 打消の接続(~ないで、~なくて)。
|
て、して |
連用形につく。 単純な接続(~て)。 |
つつ |
連用形につく。 動作の並行(~ながら)、動作の反復・継続(~し続けて)。 |
ながら |
連用形・形容詞語幹につく。 動作の並行(~ながら)、逆接確定条件(~ながらも)。 |
【副助詞】
種々の語に接続して、その語に意味を添えます。
副助詞 |
用法・意味 |
すら、だに |
一例を挙げて、より以上の状態を推測させる(~でさえも)、最低限度を示す(「だに」のみ。せめて~だけでも)。 |
さへ |
添加(その上~までも)。 |
し、しも |
強意(訳さない)。 |
のみ |
限定(~だけ、~ばかり)、強意(ただもう~するばかり)。
|
ばかり |
限定(~だけ、~ばかり)、程度(~ほど、~くらい、~ころ)。 |
【係助詞】
文は普通、終止形か命令形で言い切りますが、文中に係助詞「ぞ」「なむ」「や」「か」「こそ」があると、文末が連体形か已然形で結ばれます。これを「係り結びの法則」と言います。結びの語がなくても意味が分かる場合には「結びの省略」、結びが言い切りではなく後へ続く場合には結びが流れる「結びの流れ(消去、消滅)」といったことも起こってきます。
係助詞 |
用法・意味 |
ぞ、なむ |
連体形で結ぶ。強意。 |
こそ |
已然形で結ぶ。強意。 |
や(やは)、か(かは) |
連体形で結ぶ。疑問(~か)、反語(~だろうか、~でない)。 |
【終助詞】
文末に来て、「禁止」「希望」「詠嘆・強意」などの意味を表します。
終助詞 |
用法・意味 |
な |
終止形につく。禁止(~な)。 |
(な)・・・そ |
連用形につく(カ変・サ変には「な来(こ)そ」「なせそ」のように未然形につく)。禁止(~な、~てくれるな)。 |
ばや |
未然形につく。希望(~たい)。 |
なむ(なん) |
未然形につく。希望(~てほしい、~てくれればいい)。 |
もがな(もが) |
体言につく。希望(~があればいいがなあ)。 |
にしがな、てしがな |
連用形につく。希望(~たいものだ)。 |
か、かな、かも |
体言・連体形につく。詠嘆(~よ、~ことよ、~なあ)。 |
な |
文末につく。詠嘆(~よ、~なあ)。 |
かし |
文末につく。念を押す(~よ、~だよ)。 |
【間投助詞】
文末や文節の切れ目に来て、意味を添えたり、語調を整えたりします。
間投助詞 |
用法・意味 |
や、よ |
詠嘆(~よ、~なあ)、呼びかけ(~よ)。 |
を |
軽い詠嘆(訳さない)。 |